〔浦嶋太郎はなぜあんなに有名?実は深い話が・・・。〕
令和3年2月に大阪市の寺岡内科医院の院長夫婦が当神社に立ち寄られ、宮嶋宮司の「絵解き」に大変感激されたようです。その後「あなたと寺岡内科医院を結ぶ健康情報誌」3月号に舟屋や当神社のことを掲載していただきました。抜粋の上ご紹介させていただきます。
〔・・・先日、丹後半島の奥にある伊根町に行きました。ここは漁船のガレージと住居が一緒になった舟屋群で有名な漁村で、新鮮な魚料理と地酒を堪能したあと波音を枕にしての一夜は忘れがたいものでした。翌日訪れたのが宇良(浦嶋)神社でした。名前からしておとぎ話的ですね。有難いことに宮司さんから直々に浦嶋太郎のお話をうかがう事が出来たのです。「この辺は昔から水之江というところで、神社の前の筒川のほとりに住んでいた浦(宇良)の嶋子という若者が漁に出たところ珍しく亀が引っかかった。その亀はお姫様に変身して常世の国につれていき、めでたく王子夫婦となった。しかし嶋子はふるさとが恋しくなり一人帰郷したところ、かなりの年月が経過していたというのが元々のお話しでした。」ということです。この物語はなんと雄略天皇の5世紀には成立していて、日本初の国家的歴史書である日本書記(8世紀)にも記載があるのですから、当時は重大な歴史的事実だと認識されていたのでしょう。そして1600年後の現代までも語り継がれて来たことになります。途中で竜宮城は海の底になり、浦の嶋子が浦嶋太郎に変わり、300年経過して玉手箱を開けると一瞬にして白髪の爺になったりと脚色されていったようです。桓武天皇の御子である淳和天皇がこの話をひどく気に入られ、小野道風を造営使として建てさせたのがここ宇良神社の始まりだそうです。ちょうど1200年祭にあたり、傷んだ社殿保存のための寄付を募っておられます。ですから、前を流れる筒川の向こう岸から舟を出したんですよ、と聞くと本当にあったことではないかと思えてしまうのです。全国には浦嶋伝説があちこちにあるそうですが、水之江、筒川、宇良、とこれだけ証拠がそろっているのはここだけです。実在の浦嶋太郎を感じていただくために、宇良(浦嶋)神社をぜひ訪れられることをお薦めします。・・・古代の歴史が現代人の心に生きている喜びを確認できた楽しい旅でした〕
と綴られております。
寺岡先生におかれましては、お帰りの際は御寄付を賜りましたうえ、浦嶋神社の貴重な情報発信をしていただきありがとうございました。寺岡内科医院の今後ますますの御発展とご院長ご夫婦の御健勝を心から祈念しまして、御礼とさせていただきます。
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